こんにちは〜
今週も「Kalevala Stories」のお時間です!
先週までお送りした
Lapponia ジュエリーの物語。
お楽しみいただけましたでしょうか?
本日お届けするのは
この、Kalevala ジュエリーの物語です。
一体どんなストーリーが語られていくのでしょうか?
〜 もう一つの物語 〜
「フィンランド女性のために、
これをジュエリーにしてください」
作家Elsa Heporauta は
Aino-Mari Mecklin夫人にそう言うと、
Tuukkala に古くから伝わる衣装の
豪華なジュエリーセットを彼女の目の前に広げました。
重厚感あるブロンズと
輝かしいシルバーのチェーンやブローチ、
ペンダントネックレスを含めたジュエリーセットでした。
これは1937年の春。
Elsa Heporauta がフィンランド文化の祖先である
フィンランド女性のための像を設置することを思いついた、
フィンランド民族叙事詩『Kalevala』100周年から
2年後の出来事です。
彼女は叙事詩の女王 Louhi にちなんだ
Kalevala の女性像を建てるため、委員会を設立しました。
像設置の資金を募るため委員会は、
古くからあるモデルをベースに
現代女性に向けたジュエリーを制作、販売することを決めます。
実際、古代のジュエリーの世界は
インスピレーションの宝庫でした。
例えば、鉄器時代。
晴れやかな衣装ひとつ取っても、
魅力的なジュエリーがたくさん使われています。
(1940年代の広告写真。Germund PaaerがデザインしたLadybirdのブローチ)
事業の立ち上げを一任されたMecklin夫人は
最初のジュエリーのモデルをフィンランド国立博物館から選定、
アーティスト Germund Paaer がデザインと制作を担当しました。
Kalevala の最初のジュエリーコレクションである
40個のプローチは、1937年12月8日大統領官邸で催された
Kaisa Kallio 大統領夫人主催のお茶会にて、
大勢の特別なゲストや報道関係者たちに紹介されました。
これがKalevalaの旅の始まりです。
(バイキング時代のバックル。Germund Paaerによる原画)
Kalevalaは瞬く間にヒットし、
像を設置するための資金集めには
それほど時間はかかりませんでした。
しかし、1939年に勃発した戦争が計画を狂わせます。
像設置に代わって、委員会は
ジュエリーの売り上げの大半を女性や子供たちなど
戦時中とりわけ支援の必要な人々へのサポートに当てることを決めました。
材料だけではなく労働力すら不足していようとも、
ジュエリー製造は継続されました。
適切な材料さえ手に入れば
ジュエリーをつくることはいつでも、そしてどこであろうとも可能なのです。
減少したジュエリー製造を補うため、
Germund Paaer が手がけた木製の実用品や装飾品が
コレクションに加わることになります。
人々は、自分たちがジュエリーを買って生まれる利益が
素晴らしい目的のために活用されると知っていたので、
貧しく困難な時代であろうともジュエリーはよく売れました。
このジュエリープロジェクトは、
フィンランド女性たちの勇気や勇敢な行い、
あくなき探究心に対する敬意を表するのに、
ただ一つの像よりもはるかに素晴らしい方法であるとわかりました。
結局、戦後になって像も設置されたのですけれど。
(Elsa Heporauta と Louhi像)
Emil Halonen がデザインし、
1946年に完成したブロンズ像は「Louhi」と名付けられ
現在は Kalevala のオーナーでもあり、ヘルシンキにある
「Kalevala Women’s Association」の敷地内にあります。
***
いかがでしたでしょうか?
まだまだ旅は始まったばかり。
これからどんな仲間たちと出会うのでしょう。
ぜひ次回もお楽しみに♪
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