こんにちは〜
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
今週も「Kalevala Stories」のお時間です!
モダンジュエリーの幕を開けたkalevala。
女性が要職に就き始めたり
ミラノ・トリエンナーレで金賞を受賞したりと
変化の生まれた1960年代が前回のお話の舞台でした。
社会の流れや若者の流行が
刻々と変化する1970〜90年代において
Kalevala はどのように変化していったのでしょう。
〜 1970's 〜
1970年代初頭になると Kalevala は
ヘルシンキの Pitäjänmäki地区にある
新たなオフィス兼工場に移転しました。
このことにより、製造から販売、
管理といった会社の機能すべてを、
同じ屋根の下に集結することになったのです。
(右下のブローチがSALTに参加した各国首脳の配偶者に贈られたもの)
1972年にはSALT(戦略兵器制限交渉)に出席した
各国首脳の配偶者たちが新社屋を訪れ、
1940年代に Germund Paaer がデザインした
ハートのブローチが贈られるなど、
新社屋には特別な客人たちが訪れることになりました。
このハートのジュエリーは
ここを訪れたということだけではなく、
「世界の平和は人々の心から始まるのだ」
ということを思い出させてくれるものでした。
このことに敬意を表して、
ブローチは『Salt heart』と名付けられます。
(1972年、カレワラの新社屋を訪れたSALTに参加した各国首脳の配偶者たち)
1970年代、
Kalevala は工場に併設された工房で
ニット製品や陶器の販売も行っていました。
〜 現代のビジネス企業に 〜
1980年代、
流行に敏感な若者たちは Kalevala のことを
「おばあちゃんのジュエリー」と鼻で笑っていましたが
それでも Kalevala は
進歩と近代化への歩みを止めませんでした。
製造はシステム化が強化され自動データ処理を導入、
初めてとなるギフトコレクションが誕生し、
ヘルシンキには新たに旗艦店がオープンしました。
(それからおよそ30年近く営業を続けました)
新しいジュエリーは適度なペースで世に送り出され、
リリースが最大に達したのは
Kalevala50周年記念のときです。
(1985年、フィンランドの民族叙事詩「カレワラ」の誕生150周年を記念して作られたシルバーネックレス)
それでも、
マーケティングへの投資は増え続けていました。
1989年、Kalevala は
フィンランドのモダンジュエリーデザインを専門とする会社、
Kaunis Koru を買収。
Kaunis Koru は、
1951から1956年まで Kalevala の常務取締役だった
Martta Ritvanen がその後設立した会社でした。
〜 古代ジュエリーの復活 〜
1990年代になると、
Kalevala の人気は新たなる高みへと駆け登ります。
需要が非常に多く、
会社はそれに応えようと力を尽くしました。
誰が製品を買うことができるのか、
クジで決めているのではないかという噂まであったほどです。
歴史上の人物をモデルにした
大きなブロンズ製のジュエリーは、
その当時のエスニックファッションの流行もあって
とりわけ人気が高いアイテムでした。
(Lola Odusoga が身につけているのが、黄金の「Sun Lion」)
Kalevala60周年を記念した『Sun Lion』が
1997年の Kalevala創業記念日に発売されると、
歴代のジュエリー作品の中で
最も売れたモデルの一つとなりました。
人々は通りに列を成して、
ラップランド産のゴールドでできた
シリアルナンバー入りの最初の作品を求めたのです。
(モデル Nina Kurkinen を起用した、1990年代の広告写真)
***
いかがでしたでしょうか?
はるか昔とその時代を軽やかに行き交い
Kalevaea 独自の美を融合させた、
懐かしさと新しさが息づくジュエリーたち。
さすがにクジ引きで購入者を
決めてはいなかったでしょうが(笑)
そんな噂が立つほど、当時から
時代を象徴するジュエリーブランドだったんですね。
それでは、次回もお楽しみに♪
Kalevala の美しいジュエリーはこちら
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